PC閲覧時、復興応援Song「絆の桜」(作曲:中村剛司)が流れます。

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咲け!世界にひとつだけの花!

 

 「たいせつなことをたいせつにできる」ように。

  

いつか、つまずき悩んだときのヒントになるように。

 

目指した夢、願ったことを叶えられるように。

 

幸せをつかめるように。

 

その幸せを守れるように。

 

世界にひとつだけの花と咲くように。

Mission~役割~

 

 

 

東日本大震災から4年。

 

多くを失った人たち。

 

夢、願いまでも失わないようにと続けてきたサンタクロース。

 

 

夢や願いがあってもどうしたらいいかわからない。

 

お金も時間も、その機会がない。

 

夢、願い、想いをおきざりにせざるを得ない人たち。

 

 

被災地にかぎらず日本全体、世界が抱える問題かもしれない。

 

夢、勇気、希望を抱くきっかけとなるようにと贈ってきたクリスマスは「きっかけ」でしかないかもしれない。

 

でももし、きっかけをつかめたならチャレンジしつづけられるように、想いをおきざりにすることのないようにチカラになっていきたい。

 

どうしたらいいかわからない。

 

お金がない、時間がない。

 

そんな壁が被災したひとにも、支援したきもちをもつひとにもあった。

 

 

夢、願い、想いをおきざりにしてでも、笑顔でいつづけていた子どもたち。

 

引きこもっていく思春期の少年少女たち、おとなたちも。

 

少しづつ復興していく地域の仕事に朝から晩まで明け暮れる親たち。

 

・・・

 

被災地のご家庭におとずれた時、考えこむような表情があった。

 

 

サンタが来た!

 

プレゼントをもってきてくれた!

 

クリスマスソングを一緒に歌った!

 

 

子どもたちが、子どもらしいキラキラした瞳でプレゼントを見つめていた。

 

同時に、思い出を瞬時に失うことへの不安も感じていたようにも映った。

 

(いまは楽しい、うれしい、でもまたさびしくなるのかな・・・)

 

 

ゆたかってなに?

 

しあわせってなに?

 

そんなことを彼らに聞かれているようだった。

 

 

「勉強を頑張れば、きっとサンタさんがクリスマスプレゼントをくれるよ!」

 

というふうに、クリスマスを 勉強の動機づけにする親御さんもあれば

 

「お友だちに優しくしてあげてね。サンタさんはそんな子どもが好きなんだよ。」

 

というふうに、クリスマスを親御さんの大切にする価値観を伝える手段にする親御さんもある。

 

いづれも親は子を一番におもっている。

 

 

だけど、被災地やひとり親家庭の子どもたちは、あまりにも失ったモノコトが多い。

 

自由にかけまわることのできるグラウンド。

 

そこにあったサッカーゴールやバスケットゴールや鉄棒や砂場。

 

そこでいつも遊んでいたお友だち。

 

いつも優しく何かを教えてくれたおじいちゃん、おばあちゃん。

 

惜しみない愛情を注いでくれたお母さん、寡黙なお父さん。

 

そんな人たちがくれた自転車、おもちゃ、テレビゲーム、楽器、絵本・・・

 

思い出がつまったアルバム。

 

 

これらを失った子どもたち、家族。

 

失った思い出。

 

失った未来。

 

 

この喪失の先に、彼らが描くのは何だろう?

 

思い描いていないかもしれない。

 

失った傷あとが、何かを求めることをいまも妨げているかもしれない。

 

だけど、何かを求めない人生などあり得るだろうか。

 

食べなきゃ生きてけない。

 

食べるためには、お金を稼ぐか、自給自足をするか、家も必要だ。

 

学校にいけば同級生がいるし、決まった授業もある。

 

社会にでれば厳しい現実社会が待っている。

 

もしなにかを失うことを恐れて、なにか得ようとしなかったとしたら。

 

友だちを失うことを恐れて、なかよくすることをしなくなってしまったら。

 

いっしょに何かを目指して、いっしょに叶える喜びを体験することがなくなるかもしれない。

 

実社会では、そのひとがなんと感じようと否応なく成果を求められる。

 

それにストレスしか感じられなければ、やがてドロップアウトしてしまう。

 

(こんなことをもとめて生きているんじゃない)

 

もとめることは、生きる源。

 

「求めよ、さらば与えられん。

尋ねよ、さらば見出さん。

門を叩け、さらば開かれん。

すべて求める者は与えられ、尋ねる者は見いだし、門を叩く者は開かれる。」

 

新約聖書の言葉。

 

何かを求めるなら、それに見合う努力が必要だ。

 

求めないのなら、努力も必要ない。

 

努力しない人生、努力を必要としない人生に感動はない。

 

学びもない、体験もない、喜怒哀楽なんの感情もない。

 

 

喪失を経て、生きている人たちがいる。

 

その生きた軌跡の中に「喪失を乗り越えたヒント」「ある豊かさをつかんだヒント」がある。

 

たとえばこのような人たちの軌跡の中には、喪失を乗り越えるヒントがある。

  

ひとに慕われているひとの話しをきくとそんなことがよくある。

 

たとえば

 

幼いころに両親が離婚し、親を憎んで生きていたというひとがその憎しみを乗り越えた瞬間。

 

勉強も運動もできない・・・劣等感の中に生きていたというひとがその劣等感を乗り越えた瞬間。

 

ブスだしデブだし、しあわせになる資格なんてないと思って生きてきたひとが生きる喜びを知った瞬間。

 

いじめ・・・何度もいつ死のうかと思って生きてきたひとが生きる意味を見いだした瞬間。

 

その瞬間にいたるまでにもがき苦しんだストーリーにヒントがたくさんある。

 

今もずっと、喪失を抱えている人、あきらめた人もいる。

 

「喪失した出来事への意味づけ」が人によって違う。

 

何かを求め続け、挑みつづけ、「なになにができる自分」というアイデンティティを得ていった。

 

そんなひとにとっては「喪失が意味のあることだった」となっている。

 

「両親が幼い頃、離婚してね。どっちの親にもついていかないって家を出た。

 当然グレるよね。まあでもそういうことがあったから今、人を教えられるようになったんだと思う。」

(42歳 人材育成コンサルタント)

 

「ブスだしデブだったから、かわいくなりたくて、ずっとあきらめられなくて・・・

 今はみんなからかわいい、きれいって言ってもらえる。

自分でやってきたから人をきれいにできるんです。」

(30歳 美容業)

 

「幼い頃、両親が離婚して、母親はずっと働きに出ていて。だから育ててくれたのは祖父と祖母なんです。

 だから祖父と祖母が亡くなる時は、絶対自分がお世話するって決めていました。

 祖父が亡くなった時、祖母が祖父の名前を呼んで話しかかけるんです。宙を見て・・・

 それで、この歌が生まれたんです。

 こういう人生でなければ、できてませんし、不思議やなって思います。」

 (37歳 シンガーソングライター)

 

 

もし、喪失を抱えて生きてきた軌跡が「誰かの今」を支えることになるなら

 

その、「不幸だった喪失」は、「誰かのための奇跡」だったのかもしれない。

 

その時、喪失は「志」に変わるのかもしれない。

  

不遇だと思って生きてきた人生は

 

(どうしたらいいの?)という誰かのための、自分だけがもっている「奇跡の種」かもしれない。

  

だからみんなが、世界にひとつだけの花なんだってこと。

 

 

そんなひとりひとりがつながっていくと

 

世界にいろんな花が咲いていることや

 

世界にはいろんな花の種があること。

 

 

だけど喪失を恐れるあまり、自分の想いにフタをしたり。

 

世間の常識が、いつの間にか自分の想いにフタをしたり。

 

いつかそうやって、自分を忘れていく、失っていく。

 

 

自分に正直に生きることには、勇気がいる。

 

そんな勇気をそっとささえてあげられるように支えたい。

 

そうしたら、希望がうまれ、やがて夢をいだけるから。

 

もし自分が悩んだり、苦しんだのとおなじような境遇にいる人がいれば、それを乗り越えていった先にあるかもしれない「未来」を自分の軌跡で伝えていく。

 

そうやってつながっていければ、誰かが一歩を超える勇気をもてる。

 

 

誰もが、自分の足で立って生きていけるようになりたい。

 

そんな自分であることを信じたいとおもっているはずだから。

 

 

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チャレンジした経験を伝える「チャレンジ明太子プロジェクト」

 

 様々なチャレンジをしてチカラを磨いてきた経験。

 

その「経験」を「ヒント」として伝えるのが「チャレメン先生」。

  

何かにチャレンジすれば、うまくいかなくて、悩んだり、困ったり、つまずいたり。

 

そんな時、チャレメン先生の経験が乗り越えるヒントになる。

 

「ボランティアしたいと思っても、その機会がない。」

 

「自分だからこそできる支援活動がないか、探していた。」

 

 こんなひとが「チャレメン先生」にぴったり。

 

2011年から続けてきたクリスマスのボランティア。

 

ミュージシャン、パフォーマー、アーティスト、漫画家などプロとして活動するひとたちをはじめ、ホームページをつくれるひと、ブログを書けるひと、写真や映像の撮影や編集ができるひと、車の運転ができるひと、演劇ができるひと、現地にはいけなくても寄付やプレゼントを贈ってくれるひと、学生は抜群の行動力を発揮するなどそれぞれのチカラが集まることで実現できた。

 

ボランティア経験ゼロ、地縁がなくてもできた。

 

ひとりひとりのチカラ、が集まることがポイントだった。

    

ひとりひとりのチカラが発揮できる機会をもっとつくろう!

 

震災で傷ついた心を慰め、夢、希望、勇気を抱いてもらおう。

 

多くのミュージシャン、音楽家、音大生たちが東北に足を運んだ。

  

「おとなになったら音楽でひとを元気にしたい!」

 

って思った子どももいるはず。

 

たとえば、そんな子どもたちが「想いを叶えるヒント」を。

 

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被災地、母子家庭の悩みのトップは「経済不安」と子どもの「教育・進学」。

 

そんな家庭、子どもたちの「想いを叶えるヒント」をいつでも得られるようにする。

 

あるチャレメン先生は中学2年生のときまでまったく勉強をしなかった。

 

塾までいって勉強したいとは思わず、第一そんな経済力はなかった。

 

しかし1年半で偏差値を50から76まで高め志望校に合格できた。

 

そのチャレメン先生は、子どもが勉強ぎらいで困っていて、塾や家庭教師に頼めないようなご家庭に、「中学二年生から挽回できる勉強方法」を教えられる。

 

彼は親から学校にいきたくてもいけなかった話しを聞き、学歴がないことがどれだけ苦労の多い人生になるかをこんこんと諭され気づいたことで、勉強に打ち込む決意をした。

 

彼にとってのチャレメン先生は、学歴がなく苦労した両親だった。

 

中学2年生の二学期に一念発起して、受験までの1年半、徹底的に勉強した。

 

遅れを取り戻すために小学5年生のころから封も開けていなかった進研ゼミの教材40冊を掘り起こした。

 

これまで遅れをとっていた3年分(小学5,6年生、中学1年生分)と、これから学ぶ中学2年生2学期以降の勉強を受験までの18か月で取り戻そうと考えた。

 

いったん、動きだしたら「変化」が起きはじめる。

 

18か月ぴったりだと、わからなかったことを取り戻す時間がとれないと考えて3ヵ月の余裕をもたせた15か月で中学3年生までの勉強をすべて学ぼうと計画しなおした。

 

1日何ページ進めれば、教材をすべて学びつくせるか、日々の目標設定をし、それを毎日欠かすことなく、部活にも出ながら続けた。

 

いままでわからなかったことが、わかるようになっていくことが楽しくなり、みるみるテストの点数があがり、偏差値がどんどん高くなっていった。

 

壁はあった。

 

どうしても社会が苦手で、80点前後にしか伸びない。

 

全体の足を引っ張っていて悩んでいたとき少年ジャンプか何かで記憶術をみつけた。

 

2万円。

 

中学2年生の子どもにとっては大金・・・お年玉貯金を切り崩して買った。

 

その選択が正しいかどうかは知る由もない。

 

決まっているのは、受験というゴールまでの時間。

 

とにかく改善できそうなことは何でもやるしかない。

 

意を決して買った記憶術は分厚い冊子だった。

 

習得する時間を1週間として計画に組み入れて、その分また全体の計画を修正。

 

記憶術は1週間ほどするとどんどん効果があらわれあれだけ苦手だった社会が平均95点以上になった。

 

壁を乗り越え始めると、さらなる好循環が生まれこれまで苦手な社会につかっていた勉強時間が大きく減ったため考えることが大切な国語、数学の勉強時間を長くとれるようになった。

 

5教科全体の平均点は95点以上、偏差値は76、超難関進学校が視野に入ってきた。

 

経済的に私立はNG、受験費用すらなかったので近隣で交通費のかからない国立と公立に挑み無事合格。

 

そのときの先生や親の喜びようったらなかった。

 

自分がチャレンジして結果を出すことが、誰かの喜びになることを知った。

 

経済不安に悩む家庭に育ったけど、幸運にも「最高のヒント」にであい道を切り開くことができた。

 

だから、同じように悩んでいるひとがいれば、そのヒントを教えられる。

 

資格試験、受験、進学を迎えるひとに記憶術のようなノウハウはカギになる。

 

たとえばこのように実体験を伝えて、「ヒント」を渡す。

 

すっかりそんな「何かを乗り越えた経験」は忘れているもの。 

 

ひとの役に立つような、誰かの「ヒント」になるような「タネ」が自分の中にあるのか?

 

過去を探って思い出しながら、とにかくバーッと書き出す。

 

こうして誰かの想いを叶える「ヒント」=「種」が見つけられる。

 

「何かにチャレンジしてきたこと」は「誰かの想いを叶えるヒント」かもしれない。

 

誰かが「自分で未来を切りひらくヒント」かもしれない。

 

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Callenge for Vision~描く未来とチャレンジ~

 

※チャレメン

「ある想い」に「チャレンジ」するひと。

 

※チャレメン先生

「ある想い」に「チャレンジ」するひとを支える「メンター」。 

 

 

チャレメンのヒントになるように、チャレメン先生は「日記」を綴っている。

  

自分が悩み、苦しみ、挑み、乗り越えたり、挫折したり、学んだこと。

 

(同じ悩み・苦しみを持つ誰かに届くように)

 

そんなプロフィールはどこか優しい。

 

今日も、何かに想いを巡らせ、何かにチャレンジし続けている。

 

 

世の中、すべての仕事に何かしらの「ありがとう」が生まれている。

 

ひとのしあわせを守る

 

しあわせをささえる

 

気づきをもたらす

 

心や体を癒す、といったこと。

 

 

チャレメン先生として取り組む様々な人たち。

 

✔「知力・体力でしあわせをつたえる」チャレメン先生

(IT、法律、教育、政治、投資家、マスメディア、営業マン・事務、コンサルタントなど)

 (消防士、自衛官、格闘家など)

 

✔「感性でしあわせをつたえる」チャレメン先生

(ミュージシャン、芸人、アーティスト、デザイナー、漫画家など)

 

✔「健康をまもりしあわせをつたえる」チャレメン先生

(漁業、農業、畜産、食品加工、卸など)

 

✔「癒すことでしあわせをつたえる」チャレメン先生

(エステシャン、セラピスト、カウンセラー、介護、医療など)

 

✔「オシャレ・遊びでしあわせをつたえる」チャレメン先生

(アパレル、雑貨、ゲーム、おもちゃ、メディアなど)

 

 

チャレメン先生の日記は、震災や家庭状況の変化があり、著しく「体験の機会」を失った子どもや、何かの想いにチャレンジしようとしているひとに届く。

 

何かにチャレンジしたい、知りたい、やってみたい、そのヒントを得るために。

 

年に1回のクリスマス、想いを叶えるヒントになる何かが届く。

 

七夕の短冊に書いたこと。

 

サンタに手紙を書いたこと。

 

想いを叶えるヒントになるような何か。

 

時にヒントを与えたり、時に励まし、みまもる。

  

親御さんも日記をみて、たまにやりとりもあったり。

 

遠く離れていて、会ったことがない。

 

恋や性の悩みなど微妙な質問もあったり。

 

親や友だちに話しづらいこともある。

 

そんな悩みを知ってか知らずか、自身の体験を赤裸々に告白しているチャレメン先生がいたり。

 

人生に希望をもたらしてくれる。

  

何かを目指してチャレンジしようとするとき、チャレンジしたとき。

 

つまずいたとき。

 

夢に敗れそうなとき。

 

ひとり寂しいとき。

 

絶望しているとき。

 

進学のこと、勉強のしかた。

 

人間関係のこと。

 

体の悩み。

 

恋の悩み。

 

ほんとうはたくさんある相談したい事。

 

だけど相談することは恥ずかしいし、勇気がいる。

 

(日記の中にヒントがあるかもしれない)

 

そんな一縷の希望がチャレメン先生の日記にあるかもしれない。 

 

ある子どもは、プロサッカー選手になりたかった。

 

だけど、その方法を知らなかった。

 

リフティング、ドリブルの練習、たまに仲間内でサッカーをやる。

 

これでプロになれるかもしれないと思っていた。

 

それだけでサッカー選手になれなかった。

 

どこかのクラブチームに入るテストを受けて、そこで活躍して実績を残していったりしないとプロにはなることは難しい。

 

ヴェルディのユースに所属していた先輩は、やっぱり抜群にうまかった。

 

能力の差を痛感してたし、そんなレベルの高いクラブチームに入れるはずがないと思いこんでいた。

  

だけどもし、もっと小さいころからクラブチームに入れたら・・・親や先生がそれを教えてくれたなら・・・少なくとも「チャレンジ」はしていた。

 

チャレンジしないのはふたつの原因がある。

 

ひとつは、「思いこみ」。

 

仮に知っているひとがクラブチームに入っていても

 

(プロサッカー選手になんてなれるはずがない・・・)

 

と思い込んで、自ら可能性にフタを閉じてしまう。

 

ふたつめは「経済状況や環境」。

 

「クラブチームに入りたい!そうすればプロになれるかもしれないから!」

 

「入会金1万円、年会費6000円、月会費1万円。ユニフォーム・スパイク・サッカーボールで3万円。年間16万6千円。それに交通費やらなんやら・・・そんな余裕はないわ・・・ごめんね・・・。」

 

「そんなこといってないで、勉強しなさい!プロになんてそんな簡単になれるわけじゃないんだから!」

 

といった、経済状況や環境がチャレンジをゆるさないパターン。

 

のびのびとチャレンジできるようになるには?

 

経済状況や環境がゆるさなくても、なにかアイデアは?

 

キングカズとか、プロサッカー選手の本を読んだらわかるかもしれない。

 

プロサッカー選手の生い立ちそのものがヒントかもしれない。

 

サッカーオタクみたいなひとの情報がヒントかもしれない。

 

実際にチャレンジしたひとなら、詳しいかもしれない。

 

夢や願いを実現するための「ヒント」があったら、いくらでも欲しかった。

 

「ヒント」があれば、自分で考えて、選んで、チャレンジしていた。

 

「ヒント」をさがす余裕は親になかった。

 

「ヒント」を探そうとおもいきれなかった。

  

だから「ヒント」はないより、あったほうがまし。

 

選ぶのは最終的に本人だから。

 

でももし、サッカー選手になれなかったら?

 

夢を見失ってしまったら?

 

勉強をがんばって進学校を目指させた方がいい?

 

こんな葛藤もある。

  

だとしたら文武両道、勉強もサッカーもチャレンジできるなら?

 

効果的な勉強方法の「ヒント」があったら?

 

経済的な問題はやっぱり残る。

 

そもそも「ヒント」があることに気づけないとどうしようもない。

 

経済的問題?

 

高校生以上だったらバイトして稼ぐことはできる。

 

中学生未満だったら?

 

 

善意あるひとに、夢や願いにチャレンジしようとしている様子が伝わったら?

 

その様子が伝わるには?

 

TV?新聞?学校を巻き込む?自治体?何かが介在しないとダメ?

 

直接つながれる「手紙、インターネット」がある。

 

チャレンジしている子どもやひとが、何をやっているのか、何が足りないのか、足りないことを補う為に何をしているのか、といったことが伝わったら?

 

「経済的問題」を解決しようとお母さんは朝から晩までパートにいき、お父さんは残業をいとわず、子どもはボロボロのサッカーシューズとベコベコのボールで毎日練習しているといった様子が伝わったら?

 

「ヒント」が乏しい中、果敢にチャレンジする家庭の様子が伝わったら?

 

そんな様子が、善意ある誰かに伝わったら「想いを叶えるヒント」を贈ってもらえるかもしれない。

 

経済的な問題。

 

「善意あるひと」はずっといてくれるわけじゃない。

 

いつかは自分自身の努力で勝ち取っていかなきゃならない。

 

お父さんの給料もお母さんのパート収入も限度がある。

 

それ以外の収入源?

  

東北の沿岸部だったら漁業が盛ん。

 

近くでホタテやワカメ、イカなどを水揚げしている漁師さんのを売らせてもらえたら?

 

お父さん、お母さんにその余裕がないなら、その子がチャレンジできたら?

 

★チャレメン

「おばあちゃんのお仕事、おしえてください!」

 

★おばあちゃん

「おばあちゃんが、ワカメとイカをとりにいってなぁ、したら塩にもんで保存するんだぁ。」

 

「まぁ欲しいってひとがいんれば?わけてあげたいけんども?まぁちかくのひとらはみんな自分らでとるがらねぇ」

 

★チャレメン 

「遠くのひとが買いたいっていったら、いくらだったら売りますか?」

 

★おばあちゃん

「へっ?おまんら売ってくれるの?こんりゃたんまげた!買いたいってひとがいたらいくらでもいいっていってけれ!」

 

こうして「ワカメやイカを売ったかわりにお金を得るモデル」ができるかもしれない。

 

それをブログに書いていったら?可能性はある。

 

どうやって売っていくかの仕立てさえできれば。

  

そうやって1年のチャレンジを経て、家族全員で迎えるクリスマス。

 

そこにチャレメン先生がサンタになってサプライズであらわれたら。

 

みんなが共に創り上げた最高のクリスマスを味わえるかもしれない。

 

夢や願いがあるのは、子どもだけじゃない。

 

マイホーム、自然豊かな環境での暮らし、自給自足、温泉地巡り、世界旅行、ボランティア、音楽や芸術に親しむ生活とかむしろ、おとなのほうがたくさんある。

 

たとえば「古民家をリフォームして田舎暮らししたい。」

 

実際にそういう暮らしをしているひとたちから学べる機会があったら?

 

田舎のおじいちゃん、おばあちゃんってそういう暮しをずっとしてきてる。

 

福島で避難区域解除されたふるさとにのこって、畜産やそば農場、古民家民宿、として生活を再スタートしようとしているおじいちゃんやおばあちゃんがいた。

 

薪でお風呂を沸かしたり、大根を天日干しして保存食にしたり、自然と共に生きてる。

 

だけど、放射性廃棄物が畑に積まれたまま。

 

まだ農業を再開することはできていない。

 

避難区域解除された地域は、東電からの賠償も順次終わっている。

 

生活費はわずかな年金だけ、再起は難しい。

 

このおじいちゃん、おばあちゃんたちにもチャレメン先生になってもらえたら?

 

たとえば「自然と共生する知恵」を教える「体験教室」を開いてもらえたら?

 

おじいちゃん、おばあちゃんが収入も得られるようになったら?

 

そのためには、それぞれの地域にいろんなチャレメンがいたり、つながりがあって、おじいちゃん、おばあちゃんを取材するとか写真を撮るとか、そういったつながり、コミュニティがあればできるかもしれない。

 

おじいちゃん、おばあちゃんは高齢だから、早くしなきゃ。

 

もしそれができたら、おじいちゃん、おばあちゃんの「経済不安」も解決できる。

 

新たな生きがいになる。

 

「生きた証し」「生きる知恵」が受け継がれていく。

 

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Q&A

 

◆チャレンジ明太子プロジェクト

  

✔夢を裏切ってしまうことになるかもしれないと思うと・・・

もっとも悲しむべきことは「夢にトライ」できないこと。

夢にトライするいくつかの選択肢がみつかって、それぞれにトライし続け、応援もした。

だけど夢は叶わなかった・・・

夢が叶わないのは、本人があきらめてしまうから。

あきらめない限り、夢はいつでも追い続けることができる。

本人が夢をあきらめるか否かは、本人次第だし、周囲、特にご家族の関わりはとても大切。

何を受け取るかは、本人次第。

 

夢をもつひとは多いといえない。

夢よりも「自分の安心できる居場所が欲しい。」と願うひとが大半。

 

様々なチャレメン先生の中からぴんときた「ヒント」が欲しい、と求められてはじめて、チャレメン先生とチャレメン、ご家族とのコミュニケーションがはじまる。

 

東日本大震災被災地の子どもたちの願いには、『人を守れるようになりたい』といった願いが多く、消防士、自衛隊、看護師を目指す子どもたちが多かった。

 

いづれも大変な職業。

時に命を危険にさらしたり、大けがをすることもある。

実際に震災では多くの消防士の方々が津波にさらわれ命を落とした。

 

福島県沿岸部地域の消防団だった息子さんを亡くされたお母さんが、『よくやったどー!』と泣き崩れながら遺影にすがっていた。

 

この亡くなった息子さんが、人の命を守りたいと消防団員を志したきっかけが、もし自分自身にあったとしたら・・・それは後悔するかもしれない。 


それでも、その息子さんの死は『誇るべき死』であったと信じたい、これが親心。

 

人の命を守りたいと志のままに生き、志の内に逝った彼は、死してなお多くの人の胸に生き続ける。

 

彼の尊厳は死して輝いたともいえる。

 

Voiceは、関わった人たちすべての方々が最後のその時を迎えた時

『なんだかんだ言ってあんたたちと出逢えてよかったよ。

といってもらえるよう誠心誠意、みなさんとお付き合いしていきたいと思っています。

   

 

✔いろいろ要望されても応えきれないこともあるかと・・・

「契約」ではないのでいつまでに何をしなければならない、といった時間や身体を拘束されるようなことはありません。 

ご要望にお応えになりたいと思ったなら、ぜひそうしてあげてください。

応えられないことは、率直に応えられないと誠実にご対応くださればと思います。

Voiceとして、もちろんサポートいたします。

 

✔ブログやSNSで発信することに抵抗が・・・

「契約」ではないのでノルマとか一切ありません。

ご自身のペースでどうぞおすすめください。

 

✔個人情報がもれるようなことはありませんか?

個人情報は厳重に管理しています。

許可無い場合は一切公開いたしません。

 

✔自分が普段何をやっているのかが世間に知られるのが嫌です・・・

 匿名でされてはいかがですか。

完全に希望者だけに公開する方法もあります。 

 

✔万が一、トラブルが起きた場合はどのような責任が生じるのですか?

法令順守が絶対原則です。

特にブログやホームページで表現する内容について、金融商品取引法、薬事法、景品表示法、著作権法は充分ご注意ください。

客観的なアドバイスはいたしますが、自己責任が前提であることをご理解いただいた上でご参加いただきます。

 

 

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タネをみつけて育む志縁塾

 

「誰かの想いを叶えるヒント」(タネ)をみつけ育み、夢を叶える

 

(自分だからできる、ひとの役に立てること?)

 

ひとは自分のことがわかっているようで、いちばんわかっていない。

 

そのひとの選択の基準になっている「たいせつにしている想い」。

 

だけどほとんどのひとはその「想い」を忘れていたり、伝えられない。

 

その「想い」があって、さまざまな苦難を乗り越えてきているのに。

 

「ある想いにチャレンジした経験」は「誰かの想いを叶えるヒント(タネ)」

   

その「タネ」を必要としているひとにつながっていくように。

 

「誰かの想いを叶えるヒント(タネ)」があつまって、高まりあえるように。

 

たすけあい、わかちあうことのできるあたたかい世の中になるように。

 

ひとりひとりの花が咲いていくように。

 

自分が育んできたタネがよくわからないひとに志縁塾をつくった。

 

志縁塾はAterraのホームページへ。

 

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悲劇から子どもを守るために

 

クリスマスボランティア(Voice)は、インターネットを活用して想いを発信してきた。

 

震災以降4回のクリスマス、4212人に7800個のクリスマスプレゼントと260万円を461人のサンタからあずかった。

 

何かを成し遂げるのにノウハウやツールはもちろん重要だけどもっとたいせつなこと。

 

ひとりひとりの「花」が咲くこと。

 

「想いをカタチ」にすること。 

 

お金がない、時間がない、家族がいない、仲間がいない、生きる術を教えてくれるひとがいない、自分が何をできるかわからない、望みがない、どうしたらいいかわからない。

 

目先のことに捉われる。

 

自分自身を認められない。

 

なにかたいせつな想いをおきざりにする。

 

志縁塾は自分がひとの役にたてる「タネ」をみつけ育む。

 

チャレンジ明太子プロジェクトはそのタネが「花」と咲く。

 

2015のテーマ~Let's find your ball,let's get your ball.~

 

(きみだけのボールを探そう、きみだけのボールをもとう。)

 

震災から4年が経ち、ボランティアの数は激減。

 

風化もするし、継続しようにも経済的問題は偽らざる現状。

 

社会貢献だけを選べば経済力を失い、経済力だけを選べば被災地のチカラになることが難しくなる。

 

このジレンマはひとりひとりの「花」が咲くことしかない、そこに集中することにした。

 

ひとりひとりの花が咲いていくことが、世界が「しあわせ」になるため必要なことだと信じた。

 

悩めるひとたちの背景に必ずといっていいほどある経済不安。

  

友達ができない。

 

学校に居場所がない。

 

スポーツも勉強もできない。

 

と自信をもてなくなっていく。

 

やっと就職できた会社をリストラされた。

 

会社がつぶれた。

 

どこも雇ってくれない。

 

この社会に自分が生きていく場所はない。

 

と引きこもっていく。

 

「子どものころの体験が豊富であるほど、大人になってからやる気や生きがい、モラルや人間関係能力などの資質・能力が高い」

(独立行政法人国立青少年教育振興機構)

 

子どものころの体験とは具体的に次のこと。

 

・野外活動(自然体験、動植物とのかかわり)

・地域活動(お祭りなどの地域行事)

・情操体験(お年寄りに席を譲る、いじめをやめさせる、家事手伝い)

・疑似体験(おままごと、ヒーローごっこ、)

 

「子どものころの体験の多い少ないが、社会人になってからの年収と相関」、そして「貧困の連鎖」が社会問題視されるようになってきた。

 

子どもに多くの体験をさせてあげるには「経済力」と「幅広い知識」がいる。

 

経済力や知識がないから、貧困の連鎖がつづく。

  

「これ知りたい」

「やってみたい」

「自分にもできるかも」

 

というチャレンジへ「チャレンジ明太子プロジェクト」からヒントをわたす。

 

経済力は「志縁塾」がサポートする。

 

 

「仲間外れにはなりたくない」と願う子どもが多くいる。

 

3DSが欲しいといった女の子がこんな理由を話してくれた。

 

『学校の友達がDSで遊んでいて、私も欲しいと思いました。』

 

学校にいけば友達はゲームの話しで盛り上がっているのに、自分にはまったくわからなかったら『仲間はずれ』になっちゃうかもしれない・・・

 

これを恐れていた。

 

 この女の子の得意なことは「手先が器用」なこと。

 

そのいいところを伸ばせるヒントを得られるようチャレンジ明太子プロジェクトが担っていきたい。

 

「現役美容師さんが教えるかわいいヘアーメイク」

「小学生でもできちゃうおませさんのためのお化粧術」

「裁縫でなんでもつくっちゃうおばあちゃんの知恵」

 

もしこんなヒントを得て、自分の得意な手先をつかうことを活かして遊べることを知ったら、この子はひたすらそれに没頭するかもしれない。 

 

お友だちをかわいくしてあげたり、手づくりの小物をお友だちにあげたりするうちに彼女のまわりには彼女が大好きな友だちに囲まれているかもしれない。

 

いつかその子は、代官山とか恵比須とかオシャレなお店で芸能人専属ヘアメイクをしているかもしれない。

 

大人になっても自分の大好きな世界で生きていられる彼女の宝物箱の中には、チャレメン先生からもらったお手紙やDVD、ヘアーメイクセットが残っているかもしれない。

 

 

『仲間はずれを恐れる気持ち』は時として、悲劇に至ることがある。

 

2015年の1月に起きた中学1年生が殺害された事件。 

 

島根県から神奈川県へ引っ越した家庭だった。

 

もし彼が当初からあの不良グループとの関わりを一切持つことがなかったら、この事件には至らなかったかもしれない。

 

島根県から引っ越してきた彼は、不良グループにとって格好のカモとなり、あの優しそうな青年は断りきれなかったのではないか。

 

世の中の不良と呼ばれる子たち全員が、あんな残忍なことをするとはとても思えない。

 

「君子危うきに近寄らず」。

 

もし、ともだちになれないと思う相手なら勇気をもって断ることを教えなければいけない。

 

仕事でもできるかできないかもわからないのに、安請け合いしてしまえば後に信用を失うことが多々ある。

 

少なくとも子どもには、そのような「判断基準」が育っていないのだから、おとなが子どもから相談をいつでも受けられるような「信頼関係」ができていることがたいせつ。

 

子どもが「安心していられる居場所」がなければならない。

 

参考

東日本大震災による避難生活者数は復興庁によると(平成27年2月12日字時点)、今も22万9千人が避難生活をしている。

 

震災によって親を失った震災孤児・遺児は1698人(厚生労働省調べ平成23年度時点)。

 

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天は自ら助くる者を助く

Heaven(God) helps those who help themselves.

 

他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になる。

英国の作家、医者サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)の言葉。

 

 

目の前で津波に流されていったひと

 

お母さん、お父さん

兄弟、姉妹

おじいちゃん、おばあちゃん

友だち

彼、彼女

愛してやまない子

 

救うことができず、今も自分を責め続け、苦しむひとがいる。

 

そのひとはこれから先、誰かの助けになれない限り、その苦しみから解放されることはない。

 

誰かの助けになることでしかその苦しみを和らぎ、自らを助ける方法がない。

 

ほんとうに助けたかったひとは、もう助けられない。

 

写真の木村さんは放射能から逃れ、長野県に移住した。

 

貯金を切り崩しながらの生活。

 

年15回、制限区域であるふるさとへ、娘さんの捜索に車を飛ばす。

 

残された時間もお金もわずか。

 

被災者4人に3人が悩む「経済不安」。

 

母子家庭の一番の悩みは「こどもの教育・進学の不安」。

   

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想いを叶える。

大切な誰かを守る。

 

何かを知っては気づき、何かを選んで学び考え、動きつづけた4年間。

 

「21,669人の犠牲者がいて、最大40万9146人の避難生活者がいた。という東日本大震災があった」

と、どうか終わらないように。

 

〇〇さんというお母さんが亡くなった。 

 

〇〇さんというお父さんが亡くなった。

 

〇〇ちゃんというお子さんが亡くなった。

 

ひとりひとり亡くなったひとがいた。

 

生き残ったひとりひとりがいた。

 

今も避難生活を続けている23万のひとりひとりがいる。

 

なんのために生まれたのか。

 

なんのために生きるのか。

 

たったこのふたつのこと。

 

真剣に考えたことがないかもしれない。

 

なんのために生まれたのか

 

なんのために生きるのか。

 

しあわせになりたいから? 

 

しあわせってなに?

 

 

それは

 

どれだけの「ありがとう」のなかに生きるのか。

 

 

震災で親を亡くした子どもがいる。

 

子どもを亡くした親がいる。

 

おじいちゃん、おばあちゃんを亡くした家族がいる。

 

目の前でひとが流されていくのを助けられない自分を責めつづけるひとがいる。

 

そのひとと感じることができたはずの幸せ「ありがとう」は、もう感じることはできない。

 

あたりまえだったこと。

 

親がいること、子どもがいること、家族がいること、友達がいること。

 

 あたりまえじゃなかった。 

 

「あたりまえだと思ってたこと、それがしあわせ」だった。

 

いつもご飯をつくってくれたこと。

 

いつも笑顔でいてくれたこと。

 

いつも気にかけてくれたこと。

 

いつもお仕事がんばってくれたこと。

 

出あえたこと。

 

産んでくれたこと。

 

生まれてきてくれたこと。

 

「たくさんのあたりまえ」と、いつか伝えられなくなる「ありがとう」。

 

いつか親はいなくなる。

 

せっかく生まれてきてくれた子どもにだって

 

せっかく大好きになれたひとにだって

 

いつ何が起こるかわからない。

 

だから、一緒にいられるときは、しあわせでありたい。

 

何か困っていること、悩んでいることがあったら、チカラになりたい。

 

そのひととのしあわせを守れる自分でありたい。

 

それらができることが、有難いということ。

 

 

そうできるためにとてもたいせつなこと。

 

「震災で起きていた、絶望と希望を忘れない。」

 

大切なひとを守れない絶望。

  

震災にかぎらず、自分自身を見失うような、守れないような絶望があったかもしれない。

 

 

もしその絶望を知らなかったら、しっかりと見つめて、知って、ココロに刻む

 

たいせつなひとを失ったひとたちの絶望を自分のことのように、ココロに刻む。

 

 すごくつらいかもしれないし、見続けられないかもしれない。

 

でも目をそらさずに、ココロに刻む。

 

遅かれ、早かれその時は必ずきてしまうから。

 

だから今、目をそらさずにココロを刻む。

 

 

たいせつなひとを守れない絶望。

 

自分自身を見失うような、守れないような絶望。

  

それを知れば、いまがたいせつになる、「有難う」を知ることができる。

 

すべてがたいせつに想えるようになる。

 

大事なのはそこから。

 

 どうしたら、たいせつなひとも自分自身も守れる自分になれるか。

  


震災は起きたその時だけじゃなく、今もずっと続いている。

 

その時々に、様々な絶望がある。

 

その絶望を知るたびに、何かを考えることができる。

 

できることが見あたらないかもしれない。

 

たいせつなひとが、苦しむ前に見つける。

 

それはその「絶望」に寄り添うことで、見つけられる。

 

その絶望を知ったその誰かから「かけがえのない学び」を得ることができる。

 

そうやって、絶望を疑似体験して学ぶ。

 

(もし、自分だったら・・・)

 

と自分事として学ぶ。

 

いつか絶望が訪れたとしても、そのしあわせを守ることができるようになっていく。

 

 

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。」

 

学校でも、社会でも学ぶことは際限なくある。

 

進学のため、仕事のため、学びなさいと用意されたこと。

 

そういった用意されたことをただ覚えるできるようにするのでなく、たいせつなのは何を感じて何を学びたいと思ったのか?

 

「~したいという想い」には何かしら「心が震えた理由」がある。

 

心が震えたなにか。

 

それをみつめて、何かに気づく、何かを学ぶ。

 

ひとはこうして、誰かを守れるように強くなっていく。

 

 震災にあった子どもたちは、救助活動を行うおとなをみて、知っておもった。

 

(ひとを助けられるようなおとななりたい)

 

震災にあった子どもの夢は、消防士や自衛隊、看護師、先生が多かった。

 

(どうしたらなれますか?)

 

おとなは答える。 

 

「今はまず勉強をしっかり頑張るんだよ。勉強ができないとその道に進めないからね。」

 

勉強は大切。

 

もし途中でわからなくなっても、大丈夫。 

 

いつでも挽回はできる。

 

つまずくことはある。

 

学校の授業がつまらない。

勉強がやりたくない。

面白くない。

勉強ができない。

 

(ゆめ、かなえられない?)

 

でもきっと励ましてくれるひとたちがいる。

 

「大丈夫!きっとできるようになるから!がんばって!」

 

勉強が苦手な親もいる。 

 

塾や家庭教師にお金をつかうだけの余裕がない家庭もある。

 

日々疲れきっていて、子どもに勉強を教えてあげる余裕がない家庭もある。

 

もし勉強ができなかったら、その夢をあきらめることもあるかもしれない。

 

毎日が楽しくないかもしれない。

 

でもいつか必ずまた、何かを知って、何かに気づいて、あたらしい夢をいだける。 

 

大切なのは、何を知って、何に気づいたか。

 

 震災にあって、ひとを助けられるようになりたいって芽生えた気持ちは一生なくならない。

 

そんな心の叫びともいえるような想いには、フタなんてできない。

 

ひとを助けるのは消防士さん、自衛隊、看護師さん、先生だけじゃない。

 

ほんとうは、世の中にあるお仕事はぜんぶ誰かのためにある。

 

今日も食べたごはん。

 

お米やお魚やお肉やお野菜。

 

これを作ったり、採ったり、育てたりしているひとたちはみんな命を賭けてやっている。

 

消防士さんや自衛隊や看護師さんと同じように命を賭けてやっている。

 

だからたとえ夢に敗れたとしても、いくらでも世の中にはひとのためになれることがあることを知らせたい。

 

難しいって感じることがある。

 

知らないこと、考えたこと、やったことがないことは難しく感じる。

 

それを乗り超えていくことが「成長」だから。

 

「成長すれば強くなれる。誰かとのしあわせを守ることができる。」

 

苦しい想い、辛い想いをした分、強くなれる。

  

何かを知って、気づいて、学んで考えて、行動にうつしてはじめて、成長する。

 

そんな彼らを励ましていきたい。

 

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声にならない想いを大切に

 

「声にならない想い」に応えていこうと続けてきたクリスマスボランティア。

 

きっといちばん大切なことだと思った。

 

ひとにはいってもどうにもならないような悩み、苦しみにそっと寄り添うこと。

 

その悩みや苦しみを乗り越えるヒントを伝えたり、探したりすること。

 

 

(ぼくにもできる、あたしにもできる)という希望が芽生える。

 

ヒントを伝えそっとみまもる。

 

何かあればいつでもチカラになれる自分でありたい。

 

Voiceとは「声にできない想い」のこと。

 

大切なひとがいなくなった

 

いままであった家がなくなった

 

いままで一緒にいたひとがいなくなった

 

そんな人たちのクリスマスを彩ってきた。


  

東日本大震災の避難生活者40万9146人(最大)のうち4212人に461人のサンタからクリスマスを届けられた。

 

震災に何かしらのボランティアをしたひとは、全体で推計4732万人だから全体のボランティア数に対して、100万人のうちの1人のサンタさん。

  

100万人のうちたったの1人のスーパーサンタさん。

 

プレゼントを贈ってくれたり、寄付をしてくれたり、現地へいってくれたり。

 

「子どもたちがすこしでも笑顔になってくれるなら」と賛同してくれた。

 

「声にならない想い」を聴いてくれた。

 

ほんとうに悩み、苦しむひとは「助けてください」って声に出していう余裕はないから。

 

今を生きることが精一杯だから。

 

だから、手紙でやりとした。

 

手紙からほんとうのキモチがつたわってくるから。

 

どんな気持ちで書いたのか、何を伝えたいのか、書いてある内容だけでなく、わかることがあった。

 

インターネットがあれば、メールを送ったり、ブログに書いたりすることができる時代。

 

だけどほんとうにチカラを必要としているひとは、そこまで頭も手もまわらない。

 

「手紙」はその壁をきっと越えられる。

 

どんなに離れていても届く「手紙」は、被災地から遠く離れたひとでもチカラになれる機会をつくってくれた。

 

「手紙に綴られた想い」は、まるで会えたかのように、まるでそのひとの苦しみやなやみをずっと知っていたかのように、たとえ会えなくても、チカラになりたいと思わせてくれた。

 

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共に育ち、共に創り、共に奏でる

 

むかしの地域社会は「たすけあい、わかちあい」はあたりまえだった。

 

土地をもつ地主がいて、そこで働く小作人がいて、他の土地では別の作物を収穫していて。

 

「ことしの米はできがいいんだ、受け取ってけれ」と差しいれ

 

「あんやー、これはたいそうなモンをありがとうございます。

お返しといってはなんだけども、うちで採れた野菜が今年はいいんだーもっててけれよー」

 

こんな具合の「お互いさま」。

 

今はそのような「たすけあい、わかちあい」を実感できるような社会様式は都市部において、まったくなくなった。

  

だけど震災があった後「被災者が~を望んでいる」という明確な情報があれば、ひとは自分のもてる何かを差しだし「たすけあい、わかちあう」ことをした。

 

東北の会ったこともない、なんの恩義もないひとたちに。

 

「たすけあい、わかちあいうことのできるこの徳性」を発揮することが、この世の中が平和になる唯一の道。

 

このたすけあい、わかちあいがもっと拡がれば、世界は必ず変わる。

 

だから「たすけあう、わかちあうことをしたくでもできなかったひと」が、できるようになることが大切。

 

ひとは誰も「誰かのチカラがないと生きていけない」ままでありたいなんて思ってない。

 

誰もが「人のチカラになれる自分でありたい」とほんとうは願っている。

 

クリスマスのボランティアで、親御さんからいただくお手紙やお会いしてわかってきたことだった。

 

「ほんとうは自分たちのチカラで生活に潤いを生みだせるようになりたい。

だけど日々を生き抜くのに精いっぱい・・・」

 

たとえば魚をくれる漁師さんがいなければ魚を食べられなくなってしまうのなら、魚の取り方を教えてもらう。

その代わりに、ワカメの保存方法を教えてあげる。

 

共に育つ、たすけあい、わかちあい。

  

手を取りあい、助けあい、わかちあい、思いやりにあふれたあたたかい世界に一歩でも近づきたい。

 

競争でなく、お互いを尊重しあうことで共に育ち、お互いのチカラで助けあうことで共に何かを創る。

 

ひとりひとりを尊び、助けあい、より多くの「ありがとう」が生まれる。

 

「ありがとう」という楽曲を共に奏でるオーケストラみたいに。

 

そんなひとりひとりと拡がりつづける志縁の糸がたゆまずつむがれていくように。

   

参考(平成23年度厚生労働省調べ)

母子家庭の生活保護受給率14.1%、平均年収192万円、賃貸住居70%。

抱える悩みは「教育・進学」が過半数を占め、次いで「しつけ」について悩んでいる。

20%の母親には相談相手がおらず「相談できる人が欲しい」と60%の母親が回答。

相談したい内容は「家計」が大半を占め、次いで仕事、住居、健康。

 

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ひとりめのチャレメン先生

 

 中学生時代。

 

思春期は難しい。

自我が目覚めはじめて、自分とは何ものか?特別な存在のはずだ!

とその存在価値を確かめたくてしかたない。

あっちいったりこっちいったりした。

 

そのエネルギーのはけ口がちょっとひとと違う方向にいくと不良と世間では呼ばれる。

中学生の頃、そのいわゆる不良グループに片足を突っ込んでいた。

よくケンカもし、タバコを吸ったりお酒を飲んだりしては学校に見つかり呼び出され。

不良仲間にタロットカードやこっくりさんをやっては不気味がらせて遊んでいるしょうもないガキンチョ。

 

だけど陰湿ないじめはしなかった。

それは「かっこうわるいやつのすること」という暗黙の了解があった。

 

中学2年生の二学期以降は、内申点が決まる進学に重要な時期。

その頃一念発起して、これまでため込んでいた通信教育の教材を『いつまでにどうする』を決めひたすら勉強。

偏差値を5教科平均で76まで高めた。

 

 この時が「目標設定力」を身につけた最初の体験。

中学生までの勉強法なら、これがいちばん安く、いちばん効果的な方法。

実証した。

 

塾や家庭教師でも、たぶん成績はあがるけど「主体性」は育みづらいかも。

誰かに目標を設定されるのではなく、主体的にモノゴトを決めていくのはホント大事。

それは後にリーダーシップのチカラとして芽生えていく。

 

国立東京工業高等専門学校へ進学。

高専は日本全国にあって、進学したところは5年制。

電気・電子・機械・工業化学・情報工学といった専門的な学科。

大手企業に就職することが約束されているような就職率99%というキャッチコピー。

我が子の行く末を思う親の気持ちを安心させるに充分だった。

 

しかしたかだか16歳の頃に、パソコンに向き合い続け、近代的な機械を相手に仕事をする一生が将来だと思うと得も言われぬ不安に襲わ、入学後半年で進路を変えることを決めた。

就職率99%、残りの1%になった。

 

「親は、モノゴトをきちんと知っておかないといけない」

これはとても重要な価値観となった。

(親のせいにしていた)

  

サッカー部にはマジメ?に出てた。

単位をとるためだけに講義に出席。

腰に誘導灯をぶらさげ、夜間警備のバイト姿のまま眠りつづけ、先生からは教室を追い出された。

しまいには家を追い出され肌寒い秋の3カ月間、サッカー部の部室で寝泊まり。

部室で1人焼肉をしては先輩のジャージを臭くしていた。

エアコンも喚起もなく、20cm四方の鉄格子がひとつ、あとはブロック塀に囲まれたまさに牢獄。

塀の中で生活したのはこれが最初で最後であって欲しい。

そんな時、お粥やらなんやら差しいれしてくれた先輩から優しさを気づかされた。

 

サッカー部では目標に向かって一丸となっていくチームワークを学んだ。

初の全国出場を期待されたチーム。

惜しくも準決勝で敗退。

涙を飲んだ、一生忘れられない。

 

結局3年修了時に自主退学。

高卒同等の学歴だけど、正式には中卒。

このおかげで、どんなひとからでも学ぶスタンスを養えた。

 

その後、もう親に迷惑をかけられないと、少しでもお金のいい配ぜん人紹介所に登録して

結婚式やパーティなど、ウエイターのお仕事を3年ほど。

世間でいわれるフリーターになった。

帝国ホテルなど最高のサービスやマナーを学べたのは後にとても役に立った。

特に女性に対して紳士でなければならない。

これは「モテル男」の要素をだった。

 

フリーターはいろんな業界を知る上で素晴らしい就業スタイル。

フリーター最後の1年、ゲストハウスウエディングの責任者を担った。

この会社は、後に株式上場、その1号店だった。

フリーターでも活躍できるようなビジネスは、急速に成長することを知った。

 

ウエディングの仕事はとても素晴らしい経験だった。

人生最高の瞬間に、最高の感動を演出するような仕事をしよう!と心に固く誓った。 

しかし大きな組織の中では、自由がなく可能性にフタをされたような息苦しさから、弱冠20歳のころ、経営者になろうと考え始めた。

 

学歴もない自分がどれだけできるか、チャレンジしたかった。

その時、新しく立ち上げる広告代理店の会社に勤めることになった。

知名度も既存客もゼロ、競合ひしめく中。

新規の顧客開拓をするために、毎日100件以上の飛び込み営業。


ここでたくさんの業種の方々と出会い、その世界を知ることができた。

この世界には、様々な可能性がある。

勉強ができない、学歴がない、お金がない。

どんなひとにでも生きる場所が必ずあることを知った。

 

はじめの3年くらいは地獄。

この経験が基盤になった。

人生にはロケットを打ち上げるときのような、飛行機が離陸するときのような、膨大なエネルギーが必要な時があることをこの時、経験した。

足腰を鍛える時期は、やはり足腰を鍛えるべき。

 

勉強もスポーツも音楽も仕事もぜんぶ、基本を習うときはあまり面白いとはおもえない。

地獄の3年間を経て、やがてその会社が軌道に乗り年商10億を迫るまでに成長。

調子にのりすぎて、ある問題を起こしケジメをとるカタチで(逃げ出すように)退職。

 

どんなにモノゴトがうまくいっても、必ず次なる試練が訪れる。

そして、それらの試練は後になって必要だったことに気づくことができる。 

乗り越えさえすれば。 

 

その後、コンサルティング業界に飛び込む。

企業の業績をあげるコンサルタントとして15年ほど経験。

これまでに千数百社の新規顧客開拓、数百人の人材育成という実績を積み上げ、1万人を超える商談や人材採用を経験。

 

ここで強烈な師匠に出会う。

人生にはどうやらステージが段階的に訪れるようで、そのステージごとにお師匠はんがおられる。

徹底的に鼻をへし折られ続け、「分を知った」。

自分ひとりでは、気づけないこと。

  

そこそこ売れる営業マン、そこそこ組織を率いることのできるマネージャーから、他社の営業を請け負えるだけの力量をもつ営業マン、他社の組織を率いるマネージャーへの進化が求められた。

高額なコンサルティングフィーの対価はいかなるものか、という鋭い視線の中、時には五里霧中、時には四面楚歌。

 

環境が変われば、また学ぶべきことが見えてくる。

様々なマーケティング、マネジメント、自己啓発を学び実践しつくす。

振り返ってみれば、モノゴトの法則は極めてシンプルだった。

 

それが

「何かを知って気づき」

「何かを学び考え」

「何かをやってまた知り気づく」

そしてその「何か」が重要だということ。

 

 多くの営業マン、多くの企業が業績に伸び悩むのは、その「何か」がどうでもいいことだったり、見間違えていたりする。

巷にあふれるノウハウに振り回されていたり、結局「動ききる」ことをしていない。

主体性なく誰かが考えたことによりかかるという受動的な姿勢。

「組織が壊れていく」「ひとが落ちていく」のは社会的意義や理念という最終目標を見失い、誰もが保身に陥り始めた時。

ひとことでいえば「自分を生きていない」。

 

自分はどう社会に貢献したいのか、なぜそうしたいのか、どうやって生きていくのかといったことは「夢」といったぼんやりしたものでなく、「目標」にしっかりと落とし込まなければいけない。

「選択すべき何か」とは、最終目標のもとになった「たいせつな想い」。

 

中学校までの学校教育であれば、好きになった教科は楽しくどんどん吸収して成績もいい。

好きでなくても努力してやっと10段階中8の成績を取れる程度で充分。

抜群ではなくても足腰が鍛えられていれば、たいがいのことは、どんなことにでも応用できる。

 

そして、もっとも重要だったのはチャレンジし続ける中に、必ずその時々に必要な出会いがあるということ。

 

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きれいごとじゃないドロドロした現実の中に、

蓮の花は咲いている

 

地獄1年生

 

「ひとの役に立ちたい」

「チカラを発揮したい」

「だけどその方法がわからない」

「時間もお金もない」

 

初任給は手取り12万円あったかどうか。

家賃8万6千円、光熱費1万5千円、あとは食費・・・

何も残らないばかりか借金が膨れ上がりつづける日々を24歳まで過ごした。

 

新しい会社の立ち上げだったこともあって、毎日、会社に寝泊まりしたり休日返上で仕事をする日々。

お金も時間もなかった。 

 

ありがたいことに立派なハイブランドのスーツをいただいていた。

それとは不釣り合いのボロ靴はソールが靴底からはがれパカパカ。

ワイシャツはなけなしのお金で買った3着をローテーションし日に焼け、襟首は糸がほつれていた。

パカパカいうボロ靴を何度もサッカーシューズを直すのにつかうゴム製の接着剤で直した。

 

地獄2年生

 

新しい人材を雇う余裕が会社にできはじめて、少しづつ給料があがった。

給料があがった分は、新人社員の教育担当になっていたため毎週末「飲みニケーション」。

メンバーと自分のモチベーションを維持しようと、飲み代に消えていく。

毎週1回いって2人で5,6千円、1か月2万5千円ほどの出費として消えていく。

会社の売上と比例するように借金は雪だるま式にふくらんでいった。

 

地獄3年生

 

社員も10人くらいになって、ようやく手取り20万円に。

それでもやはり給料があがった分のほとんどは同僚との飲み代に消えていく。

 

相変わらず、365日ほとんどの時間を仕事に費やす。

地獄1年生が終わる頃には、充分な利益貢献ができるようになっていた。

 

 (いつまでこの生活が続くんだろう・・・)

 

(もう少しの辛抱、きっともう少しで充分な給料がもらえるようになるはず・・・)

と淡い期待を自分に言い聞かせる。

 

出口の見えない迷路に迷い込んだようなストレスから解放されることはなく地獄3年生に進級。

 

ほぼ毎日夜明けまで飲み明かし、ろくに寝ずに毎日二日酔い。

そんな生活をしていたらお金が足りるはずがなくさらに借金。

3年かけてつくった借金約400万。

 

その時まで

「会社がいつか自分の生活を豊かにしてくれるはずだ」

と思い込んでいた。

しかし現実はそうならず生活が破たん。

 

 毎月、返済する借金は10万を超え、手取り20万から家賃・光熱費を引いたら何も残らない。

こっちを返しては、あっちを返す、という自転車操業。

借金まみれになって文字どおり首がまわわなくなった。

『もう変わらないとやばい』とようやく思いはじめた。

 

それから毎月、自己啓発書を何冊も買って読みあさる。

お金がないから、古本屋で買いあさる。

かばんに何十冊もまとめ買いした本をいつも数冊突っ込み、喫茶店で200円のコーヒー一杯。

何時間も読みふける。

 

当時は営業成績を順調にあげられるようになっていた。

1日のうち、朝9時に会社を出てから14時くらいまでの時間はアポイント以外、ひたすらで読書。 

コーヒー代すらないときは、公園で読書したけどこれはおすすめできない。

日陰に入っても、本が日光に反射して目を傷める。

 

 松下幸之助さん、稲盛和夫さん、船井幸雄さん、上杉鷹山、カーネギー、ナポレオンヒルの7つの習慣、コトラーのマーケティング理論、プレジデント、BigTommorow、致知、ユングなど、ベースになった。

 

24時間体制で仕事をしていたあの頃の1日。

7~9時 掃除から始まり、社内ミーティング、報告連絡相談の処理

9~14時 数件のアポイントの合間に徹底的に勉強

15~21時 営業活動(一気に数十件の飛び込み)

21~2時 受注した広告案件の企画

2~6時 帰宅・風呂・就寝 

 orそのまま会社で寝る

 or時には軽く一杯いってそのまま会社で寝る

7時 出社

仕事に13時間

勉強に5時間

睡眠に3,4時間

風呂・食事・出退勤の移動に1,2時間。

 

当時の若手社員が労基署にかけこむようないわゆるブラック企業の片棒をかついでいた。

一時期は、管理顧客500社すべてを1週間でフォローしつくすスーパー営業をやってのけた。

 

モチベーションを支える為に映画もよく観た。

映画館は高いから、もっぱら一本200円のレンタルビデオ。

2,3日に1冊くらいのペースで本を読み、毎週何本か映画を観て、大体1か月で10冊ほど1万5千円ほど自己投資。

借金を繰り返しながら。

 

いかに今がボロボロでも、最高の価値観に触れ、夢を胸に抱くことができれば、生きていくことができることを身をもって学んだ。

 

ボロボロの状況だからこそ、最高の価値観を求めるようになるし、夢がないとがんばれない。

 

そういう意味では、ブラック企業と呼ばれるような会社での経験は、実は素晴らしい。

あとになってみないと気づけないけど。

そのボロボロになるほどのハードルを乗り越えられなければドロップアウトしてしまう。

自ら命を絶ってしまうひともいる。

 

乗り越えられない様なハードルは訪れない。

あきらめてしまえば、そのハードルは乗り越えられない。

自ら命を絶つ勇気に比べれば、そのハードルにつまずく痛さ、怖さなど比較にならない。

 

もしハードルを迎えていたら、もうダメだって思っても決してあきらめず立ち向かい続けてほしい。

絶対そのハードルは越えることができる。

   

生きていれば、必ず壁にぶちあたる。

そこで、どう立ち向かうかによってその後の人生が大きく変わる。

あきらめずに立ち向かい続けていれば、必ず乗り越えられる。

あきらめず、立ち向かいつづける姿を誰かが必ずみている。

 

 諸先輩方は、例外なくそのハードルを乗り越えてきている。

その諸先輩方は、手を差し伸べることがきみのためになるのかどうかを考えながらみている。

決して、すべてのひとが見捨るてことはない。

 

話しを戻して、そんな生活が1年ほど続いた地獄3年生。

どんな本を読んだらいいのかもよくわからなくなってきた。

営業先の社長さんや人事担当者の方に聞くようになっていった。

 

どんな本が為になりましたか?

どんな映画に感銘を受けましたか

尊敬する人は誰ですか?

 

経営者や人の上に立つ方々が学ばれたことは役に立つことばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14年前の手帳。

左側が映画、右側が本、観たり読んだりしたものには線を引っ張った。

ほかにも音楽やためになった話し、本を読んだ感想、

誰にも見せられないような恥ずかしい夢など、何十ページも書き込んだ。

 

「誰かが学んできたこと」を聞いて実践することが、「壁」を乗り越える近道。

素直に「学びたい」って行動に移せるかどうかだけのことかもしれない。

 

お客さんに逢う理由もできる。

「壁」を乗り越えるヒントも得られる。 

業績もよくなるしと一石二鳥。

 

いつしかお客さまに会う理由は「売るため」でなく、「何かを学ぶため」へと変わった。

教えていただいたからには、誠心誠意仕事でお返ししよう、

そんな姿勢になってからはどんな競合の営業マンにも負けることはなくなった。

 

お金や仕事、というのは

「そのひとの可能性そのものだったり、そのひととの付き合いを通じて想像できる未来」

に「お金や仕事をあずけられる」ことを知った。

 

営業という仕事はおすすめ。 

本当に学びたいと心の底から思えるようになるし、学べるひとにであえる。

いくら借金があろうと、自分次第でなんとかできる気がしてくるのも営業という仕事。

 

もう何かを変えないとどうにもならない、というどん底まで追いつめられることがある。

ほんとうの学びに至るのに、失うことから気づくことが多い。

 

有難い、というのは読んで字のごとく「滅多にあることではない」ということ。

仕事や、屋根のある家、毎日食べられるごはん、何かを学べる場。

それをあたりまえのことだとたかをくくっていれば、やがて失う日が必ず来る。

 

当時、ほんとうにお金がなくて、おむすびをにぎって、公園で食べていた。

いつからか、あるお客さまのところへいくと、従業員の賄いを何も言わずに出されるようになった。

苦しんでいることは何ひとつ言ったことがなかったのに。

どこかでおにぎりを食べているわびしい姿を見られたんだろう。

  

だけど何度いっても、仕事はいただけなかった。

そのお店には競合会社のKさんというとても活発できれいな女性営業マンが出入りしていた。

(会社の知名度もブランドも、営業マンとしても、どうみても勝ち目がないなぁ・・・)

と、内心あきらめていた。

 

何度も足を運びいろんなお話しをお聞きした。 

戦後からお店を続けていること。

息子さんが、修行していていつか店を継がせたいと思っていること。

経営状況が苦しいときのこと。

いつもニッコリとする恵比須さまのようなご主人と、ちゃきちゃきした女将さん。

癒しと学びと賄いをいただいていた。

 

ある日、その小料理やのご主人から電話が会社に入った。

 

「きみの将来に可能性を感じるから、きみに頼むことにした。

ずっと、どちらに仕事を頼もうか迷っていた。

二人とも素晴らしい人間だから。

どちらかに頼んだらかわいそうでしょ。

だけど、きみに先に頼むことにした。

もし結果がでなかったら彼女に頼むから。」

 

この時のことは、一生忘れられない。

苦難に陥っているとき、這い上がろうとしているとき、

もし心の中であきらめてしまっていたとしても、

チャレンジし続けていれば必ずどこかで誰かが見守ってくれている。

 

 だけど誰かが助けてくれるなんて、思ってちゃダメ。

「誰も助けてなんかくれない。自分でなんとかするしかない。」

そんな覚悟でやってるから、人の温情がはじめてわかるというモノだから。

 

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得れば失い、失えば得る。

なら産みだせば良い。

 

地獄3年生を抜け出したと思いきや、転職活動中、当時付き合っていた彼女が突然いなくなった。

 

さらに転職先の会社でパワハラにあうという、もう1年の地獄を経て開花。

ここでも留年していたようだ。

 

そのパワハラ会社(笑)では、コンサルティングの基盤を学んだ(感謝)。

これは生涯の財産となった。

なにかを得るには、強烈な試練があるものだ。

 

4年の地獄を抜けてからの10年はバラ色のような人生が待っていた。

充分な収入をいただけるようになり、このときに借金を全額返済。

六本木や丸の内でメンバーを連れて飲みまわり、誰もがうらやむような環境。

 

何でもできると信じきっていたその時、東日本大震災が起きた。

TV全局に映し出される、赤く点滅する日本地図。

叫ぶように実況するアナウンサー。

 

当時、入り込んでいた企業は新宿の高層ビル。

パソコンは机から落ち、ロッカーは倒れ、200人はいたであろうフロアは女性の悲鳴に包まれた。

電車は動かなくなり、道路にはまったく動かない車が何十キロも列をなし、

国道にはあふれんばかりの人たちが歩いていた。

 

それから1か月、仕事が止まった。

「安全が確保されるまで、自宅待機してください。」

 

毎日、TVやインターネットを朝から晩まで見ていた。 

被害状況が明らかになっていく中、自衛隊や消防士、看護師や物資を運ぶボランティアの人たちの姿に目を奪われた。

 

今までに感じたことのない衝動がおさまらない。

 

 「チカラになりたい」

「いますぐ、東北にいきたい」

「でも、仕事がある」

「でも、どこにいったらいいかわからない」

「でも、何ができるかわからない」 

 

できない、やらない言い訳を何度も何度も自分に言い聞かせた。 

何もできなかった、いや、しなかった。

そのギャップが苦しかった。

 

そのたまりにたまった想いが爆発。

2011年クリスマスにはじめたボランティア。

35歳の時。

 

その翌年2012年、契約期間の終了とともに、常駐型の仕事はしないことに決めた。

 

被災地のことが頭から離れなかったのもあるけど、ほんとうに自分がしたいことがわかってしまったから。

これまでみたいなスタイルで仕事を続けたら、それが難しかったから。

 

しかし収入は激減、史上最低年収になった。

バラ色から一転、またもやドロの中。

 

今までお世話になってきた、諸先輩方に事情を話した。

「おれにはできないことをやってる。応援するよ。」

と思いがけなく涙してくれた諸先輩方。

 

スポットのコンサルティング案件をいただけるようになった。

個人的に支えてくれる神様みたいなひともいてなんとかやりくりできた。

 

生涯かけてお返しするご恩をたくさんあずかった。

 

震災でふるさとや、大切なひとを失ったひとのように 

自らもふるさとから離れ、知人・友人のいない広島に拠点を設けた。 

 

距離が離れていても、会えなくても、志一つでたすけあい、わかちあう世界はできるのか?

 

この身をもって試した。

簡単に一言ではいえないいろんなことがあったけど。

 

自分にだした答えはYES。

 

震災から4年が経った2015年。


志縁塾、チャレンジ明太子プロジェクト、自分がすべき、自分ができる最高のことはこれだと信じてはじめることにした。

 

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いつか世界に一つだけの花を育てるひとへ

 

世界にひとつだけの花。

 

経済力、信念にもとづいて自由に過ごすことのできる時間。

一生付き合っていくような心友を得ることもすべて自分の選択によって創っていく。

 

恐怖や不安といった葛藤より、夢・希望・勇気に満ちた人生を選ぶ。

 

この世から去ったあとも、残した『体験』が誰かのココロに生き続ける。

 

誰にでも最高の支援者がいる。

 

応援してくれていたひとが、ひとりかふたりか必ずいたはず。

その支援者は最低でも2000万円、生きているかぎりの時間すべてをもって応援してくれている。

 

それは、ずっと陰で応援し続けてくれる親、養育者、それに準じるひと。

 

 震災が起きた年、母にALSが発症していた。 

あのバケツの水を被るというリレーでもって認知をあげていこうとされた難病。

ALSは発症から5年後に半数が死亡する未だ治療法のない難病。

 

母は乳飲み子の頃、囲炉裏で頭を焼いてしまい頭部の70%ほど

一生髪が生えることのないヤケドを負った。

学校にいくときはいつも頭巾をかぶっていっていたらしい。

 

髪型は女性がオシャレをするのにとても気にするところ。

それを生涯失われた母は、どうして生き抜いてこれたのか、聞いてみたかった。

言葉を発せなくなり、体が動かなくなった母から聴くことはできなくなった。

 

発症後しばらくして、終末医療患者が入るホスピスで集中看護を受けることになった。

父は介護を続ける中で、はじめて感じる愛情を母に抱いたといった。

 

幼いころ、父によく殴られた。

『思いやり』が無いということについては、徹底的に立てなくなるまで殴られた。

 

 今思えば「ひとの助けになりたいと思う価値観」は両親から授けられたものだった。

それに気づいたとき、なんて素晴らしい親のもとに生まれることができたんだろうと感謝できた。

 

ALS発症から5年目を迎え死亡率50%の時期に入った。

母は延命処置を望まなかった。

 

Ipadで写真やメールをなんとかやりとりできる頃に、表現できる感謝の気持ちをすべて伝えきった。

母から教えてもらいたいことはもっとたくさんあった。

だけど今は、自由に体を動かすことはおろか、しゃべることも、食事をすることもできない。

 

母から受け取った言葉

「一匹狼になったつもりでがんばんなさい」

 

その一言に言外のメッセージを読み取った。

(ひとりになることを恐れるな)

(信念を貫き通すってことは、ずっとひとりで走り抜くってことだよ)

(おまえを守ってくれるひとがいるなんて甘えた考えは捨てなさい、強くなりなさい)

 

もし五体満足なら、できること、すべきことはいくらでもある。

世界でたったひとりの自分。

ふたりとして同じひとはいない。

 

自分にしか生きることのできない人生。

自分にしかない学びがあり、それは伝えない限り、他の誰も知ることができない。

 

『その体験』を知りたいひとは100人に1人だとしたら日本には130万人ほどいる。

そのうちの2%は母子(ひとり親)家庭。 

あとの127万4千人はお金を払ってでも教えて欲しいという人たち。

  

ひとが一歩前に進むためには、一歩前を進んだひとの経験を知りたいもの。

その一歩を踏み出す勇気をもてないのは、真っ暗闇の中、一歩を進むようなことだから。

 

『その体験』は『まだそれを体験していないひと』の一歩先の暗闇を照らすことができる。

 

Voiceがもたらす最高の未来は、生涯を通じて学び、考え、体験したことを後世に残り、誰かのささえになりつづけること。

 

悩んだんこと、苦しかったこと、嬉しかったこと、目指したこと、挫折したこと、乗り越えたこと。

その軌跡、ひとつひとつを知りたい誰かがいて、それを知ることによって、誰かの命が助かるかもしれないし、誰かの心に明かりが灯るかもしれない。

 

死してもなお、誰かの胸に生き続けることができ、その証を残すことができる。

  

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復興から復幸へ

 

天の時は、地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。

 

機会があっても、地の利を生かさなければ機会は活かせず、

地の利を活かしても人の和(団結力)に勝るものはないという孟子の教え。

 

天の時。

 

東日本大震災。

東日本大震災は「人としての在り方」をすべての人たちが問われた。

 

あれから4年。

避難生活をした40万人以上のひとたちがそれぞれに生きる道を選んでいった。

 

津波や放射能を逃れていくひと。

残って自宅を再建したひと。

仕事を変えた人。

仕事を変えずに1からやり直すひと。

何もできずに仮設住宅で日々を生きるのに精いっぱいのひと。

 

同じ日本という国に住み、日本というふるさとを愛する人たちに苦難がおとずれた。

同じ言葉を話し、ビザやパスポートがなくても、車・電車をつかえば誰でもその人たちのところへ行ける。

 

貧困や病気に苦しむ国や、紛争地域にできることは少ない。

だけど、日本国内だったら、自分にでもできることはあるんじゃないか。

 

これが天の時だった。

 

地の利。

 

拠点を置いた広島と東日本大震災は「復興」というキーワードで結ばれた。

原爆が落ちた広島は平和教育が盛ん。

 

しかしなぜか、半径2キロを消失したヒロシマが復興した軌跡についてはほとんど語られていない。

70年前の広島が4年前の東北、20年前の神戸だった。

 

今、神戸の災害公営住宅では、ご高齢者の孤独死がある。

それをあるひとりの男性が「みまもり」するという活動をされていた。

しかし孤独は解決できない。

 

孤独のうちに命を閉ざしていくご高齢のかたがたが、この世に何も残さずに静かに消えていく。

この教訓を知ることこそが「地の利」だと信じる。

 

温故知新。

古きを学び、新しい何かを創る。

 

人の和。

 

「被災地の子どもたちにクリスマスプレゼントを届けよう!」

ひとつの志にひとが集まった。

 

これからは「チャレンジ明太子プロジェクト」と「志縁塾」。

ひとりひとりの「世界に一つだけの花」が咲いていく。

 

寝食を忘れてしまうほど大好きなこと、勉強してきたこと、挑戦してきたことが誰かの人生のヒントになる。

 

そんな志をもった人たちがつながり、社会全体が笑顔になっていく。

そんな人の和をこれから創っていく。

 

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支援の変化

 

全国社会福祉協議会(表)

 

今年の3.11までに放映された震災に関する番組42本を観た。

番組で明かされたことは追々にして、それまでに公開されていたデータを抜粋した。

 

世界を震撼させた東日本大震災。

どのように移り変わっているのか。

 

表は東日本大震災が発生した平成23年3月から平成27年1月までの約4年間、

各市町村社会福祉協議会に設置された災害ボランティアセンターを経由して活動した人数の推移。

 

のべ登録数は141万9,700人。

(宮城71万1,500人、岩手51万5,200人、福島19万3,000人)

  

ほかにも、災害ボランティアセンターを経由しないで、

NPO等で活動した方も多数に上るものと考えられるとのこと。

 

福島県は、東北の玄関口。

しばらく放射能の影響で入れないところがあった。

 福島では1612人(202人)が亡くなった。

(カッコは行方不明の人数)

 

原発の影響で制限区域となった場所で4年経って、中学生の女の子が見つかった。

  

宮城県では9539人(1249人)が亡くなった。

岩手県では4673人(1129人)が亡くなった。

 

ほかに北海道、青森、新潟、山形、山梨、長野、茨城、群馬、栃木、千葉、神奈川、東京、静岡、三重、高知でも亡くなったり、ケガをしたひとがいた、前代未聞の日本全体で起きた大災害だった。

 

いまだ避難生活者は23万人。

去年まで続いていた震災関連死は3194人。

 

震災関連死は福島県が1793人と全体の半分以上、宮城県では900人、岩手県では446人。

あまり知られてない、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、長野でも震災関連死があった。

 

(引用元)

✔全国社会福祉協議会

✔復興支援情報サイト 助け合いジャパン「復興のいま」

✔内閣府「東日本大震災における共助による支援活動に関する調査報告書 〜支援側及び受援側の意識の変化について〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内閣府調査

 

「東日本大震災に関連した支援活動を行った人」の割合、59.5%。


主な支援活動としては

「義援金の拠出」

被災県で産出された商品を購入する「被災地産品購入」

「被災地外での募金活動」「物資の援助」。

 

支援活動を行わなかった人の理由としては、

「資金的な余裕がない」

「何をしたらいいかわからない」

「多忙」

「情報がない」

などが多くみられた。

 

 

「支援したい気持ち」は震災直後は83.6%

震災2年後には76.6%のひとがを維持。

 

被災した人や地域を支援したい気持ちは、大きく減少していない。

支援のかたちは、寄付や募金中心から、被災地の物産・食品購入や観光支援へ。

 

若年層ほど低いが、「支援したい気持ち」は10代でも70.2%。

やっぱり若いひとは、勉強とか部活とか仕事とか忙しい。

 

阪神淡路大震災のとき、忙しくてテレビもほとんど見てなかった。

ひとのキモチは、そんなに軽々しく変わるものではない。

ちょっと安心したけど、これは2年前だから4年経った今はもう少し減ってると思う。

 

誰かのために何かチカラになりたい、だけどいまの自分にはそのチカラがないからまず、自分を鍛えよう、高めようということなのかもしれない。

 

 

 

 

支援したいひとが76.6%もいたのに、実際に支援活動をしたひとは半分以上も減った。

 

 

〇被災地の物産・食品を意識的に購入は100人のうち、14人から18人に増えた。

〇被災地に旅行に行って観光支援をしたのは100人のうち、2人から4人に増えた。

 

×義援金、寄付、募金など金銭的な支援を行ったのは100人のうち、60人から10人に減った。

×居住地近隣でできるボランティア活動を行ったのは100人のうち、3人から1人に減った。

×救援物資を送ったのは100人のうち、10人から1人に減った。

×被災地にボランティア活動に行ったのは100人のうち、3人から1人に減った。

×被災地の産業復興のための投資を行ったのは100人のうち、2人から1人に減った。

×復興支援につながるイベントに参加したのは100人のうち、7人から5人に減った。

 

「経済不安」がいちばん深刻なのに、「義援金・寄付・募金」が減っているのはなぜ?

 

「どうつかわれているのか、よくわからない」

という不満はよく聞くし、実際必要なひとすべてに届くわけではないみたい。

 

つかわれないで、置かれたままのお金もある。

だからVoiceは、子どもたちの願いを手紙で送ってもらった。

ひとりひとりにあったプレゼントとそのための活動費だったから、なんとか応援してもらえた。

 

「貢献実感が感じられるかどうか」

今後、大切なテーマ。

 

 

「支援を求める情報」さえ届けば、ほとんどのひとは「主体的に支援活動を行う」。

 

・企業が学校、地域で支援活動の企画がある

・支援を求める情報に出会える

・周囲に支援活動をしている人がいること

は特に大切。

  

 

10代の収入がなかったり、収入の低い未成年でも寄付しているのが印象的。

 

 

✔被災地にボランティアに行けたのは100人のうち3人、行っている人は平均3回いってる。

 

✔観光支援を行ったのは100人のうち7人

行っている人は3回いっていて、現地でつかった金額は1回あたり35,727円。

 

年齢が高くなればなるほど、被災地に足を運んでいるひとが多い。

観光支援は特に、若い人ほど少ない。

何か支援につながることをしたくても、情報を得られなかったり

お金や時間の問題でできないことがある。

クリスマスのときもそうだけど、遠方のひとはいきたくてもなかなかいけない。

たとえばクリスマスのとき、広島から車でいくその行程は。

 

✔日程

1日かけて東北到着、クリスマス2日間活動、1日かけて帰着。

 

✔費用

レンタカー4日間70,000円

ガソリン代45,000円

高速道路代70,000円

交通費だけで21万5,000円。

プレゼント載せて、5人乗るとぎゅうぎゅうだけど、1人あたり43,000円。

Voiceはなんとかご寄付で大半を賄わえているけど、通常はかなりの費用負担。

 

✔代替案

広島から岩手の一ノ関まで新幹線でいくと、ひとりあたり往復6万円ほど。

高速バスで乗りついでいったらひとりあたり往復3万円くらいだが、片道2日間かかるので、日程の都合がつきずらくなる。

 

東北にいったら結局、車がないと移動ができないから、現地でレンタカーを借りることになる。

遠方からいく場合は、車がお金面でも、時間面でもいちばんの選択。

 

※各地域のボラセンで募集するボランティアバス。

不定期だけど比較的費用負担が抑えられる。

 

例)

名古屋出発0泊3日(車中2泊)参加費12,000円

神戸出発1泊4日(車中泊2日)19,000円

広島出発1泊4日(車中2泊)40,000円(学生20,000円)

など。

 

今後やっていこうとされている支援

 

①義援金の寄付や募金など金銭的な支援を行っていこうと考えているのは100人のうち35人。

②被災地の物産・食品を意欲的に購入しようと考えているのは100人のうち38人。

③被災地に旅行に行って観光支援をしようと考えているのは100人のうち22人。

④復興支援につながるイベントに参加しようと考えているのは100人のうち18人。

 

ほか、被災地にボランティアにいく

居住地近隣でできるボランティア活動をする

救援物資を送る

被災地の産業復興のための投資を行おうと考えている

それぞれ、100人のうち5~8人。

 

※20代までの若年層は、被災地にボランティアにいきたいという意向が他の年齢層に比べ

100人のうち9~12人と倍以上も高い

経済的・時間的理由でこれまでいけていないからと思われる。

 

連れていってあげたい<(`^´)>

今後、支援活動をしていきたい内容は特に以下の4つ。

 

①金銭的支援

②物産・食品購入支援

③観光支援

④復興支援イベント

 

これらの支援情報が届くことが、支援の厚みを増すうえで、大切なこと。

 

 

 

✔支援活動が続いていくために必要な情報は

 

①被災地でいま、どんな支援が求められているのかといった情報

(100人のうち77人が求めている。)

 

②被災地の復興の進捗状況に関する情報

(100人のうち59人が求めている。)

 

③支援活動を行っている人の体験談

(100人のうち24人が求めている。)

 

✔現在、支援したい気持ちは持っているが、アクションを起こしていない人の理由

 

④きっかけがなかった(100人のうち42人)

⑤金銭的余裕がなかった(100人のうち31人)

⑥時間がなかった(100人のうち30人)

⑦何をしたらいいのかわからなかった(100人のうち27人)

⑧自分が何ができるのかわからなかった(100人のうち23人)

⑨なんとなくタイミングを逃してしまった(100人のうち15人)

⑩(その時は)関心がなかった(100人のうち4人)

 

これまでのクリスマスボランティアでも、参加理由は

「たまたま見つけた」

「知人から、活動の存在を教えてもらった」

「きみがそういうなら。」

 

参加したいって連絡をくれたひとで、結局参加できなかった理由は

「お金がない」

「時間があわない」

 

誰かのチカラになりたくても、できないっていうのは、夢を叶えられないのと似ている。

こんなおもいはしてほしくない。

 

みんな何かチカラになりたいって思っても、お金がない、時間がない、

何をしたらいいかわからない、そうしてキモチだけ置き去りにしてしまう。

 

(誰か、助けてください)

とひとはなかなかは声にだして言えないけど、その想いを感じとることがたいせつ。

 

これがニーズ。

「これが必要、これが希望、これを求めている、これが足りない」ってこと。

この度合いが大きければ大きいほど、ニーズが高いってこと。

 

クリスマスのボランティアでは、手紙で求めていることを聞いてニーズを知り、

それを叶えるためにインターネットで公開した。

これが解決策。

 

だけどこちらの存在を知られていなければ、情報が届かないという問題があった。

これが改善点。

 

✔ニーズを「知って、気づく」

例)

サンタへの願いに

「妹のおもちゃが欲しい。」と

自分の願いはさしおいて、妹の願いを届けてきた。

 

✔解決策を「学び、考える」

 

このお兄ちゃんは、自分よりも家族、妹のチカラになりたいのでは?

まだ6才のこのお兄ちゃんに何を届けてあげたらいいだろう?

「誰かのチカラになれる未来」をプレゼントできないだろうか?

たとえば(何かあったとき守りたい、チカラになりたい)を叶える「防災グッズ」はどうだろう?

はたまた、消防士さんや警察官といった「体をはって人を守る職業」の物語はどうだろう?

頭が良くないとなれないお医者さん、弁護士という路線もある・・・

 

✔改善点を「動いて、知り、また気づく」

 

よし!今回は、一番怖い津波から命を守れる「防災グッズ」にしよう!

(ほんとうは、もっとよくニーズを聞きたいところ)

 

「MerryX'mas!サンタさんきたよー!!いつもがんばっている2人に、プレゼントでーす!」

 

(帰り道)

「なんか、2人とも喜んでいるというよりも、おとなの期待になんとしても応えようっていう意志を感じたね・・・」

「うん・・・たぶんあの2人はなんでもがんばっちゃうんだと思う。」

「そうだね、もう津波で大切なひとを失いたくないんだよね。」

「うん・・・たぶん、いい子にしてたら亡くなったお母さんが戻ってくるって思っているのかもしれない。」

「・・・いつかわかるときがきちゃうね・・・・もう戻ってこないんだって・・・」

「うん・・・もっと保護者さんと意思疎通していくことがこれからは大切だね。」

 

こんなイメージ。

人生はこの連続。

 

これまでの活動してわかったこと、公的な調査データなどから、

Voiceの仕組みの強化・改善、志縁塾、チャレンジ明太子プロジェクト、が導かれた。

 

考えられる改善策は、とことんまずは考えてだしてみることが大切。

考える前から、あきらめない。

やる前からあきらめない。

とにかく絶対にあきらめない!

これ鉄則。

 

志縁塾とチャレンジ明太子プロジェクトでは「金銭的余裕がない」と「時間の余裕がない」ために

支援活動ができなかったという100人のうち、30人のひとを引き上げていく試みでもある。

そうなれば、もっとたすけあい、わかちあいがされる世の中になるから。

 

 

このように、誰かを大切にして、しあわせになっていくのに

✔「何かを知って、何かに気づく」

・・・震災や誰か大切な人の死、自分自身の辛い出来事を「体験し、知って」、ひとのチカラになりたいと気づく。

 

✔「何かを学び、何かを考える」

・・・震災から4年が経っても絶望的な現実が続いていることを知り、どのようなことで苦しんでいるのかを知り、何が必要なのかを学び、どうしたらいいのかを考える。

 

最後の「何かをして、また何かを知る」が、志縁塾とチャレンジ明太子プロジェクト。

 

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被災者のその後

 

被災地の子ども100人のうち67人が

「自分のまちの復興に関わりたい」

だけど

「何をしたらいいか分からない」

 

(2014年12月時点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支援を受けたことがない企業ほど企業規模が小さく、実用的な外部支援があることを知らない。

 

(2014年9月時点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




仮設住宅での孤独死は宮城・福島・岩手3県で112人に上り、

宮城が51人で最も多く、福島35人、岩手26人と続いている。

(2014年7月時点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


福島では震災から3年が経ったときでも、半数の家族がバラバラのまま。

 

長引く避難生活、不眠、イライラ、孤独、持病の悪化、住まい・健康・生活資金・放射能・仕事・介護・教育・子どもの将来の不安にまみれた日々に、心身の不調が7割のひとにある。

 

それでも「応急仮設住宅の入居期間の延長」を求める声が一番高いのはなぜ?

「経済不安」を解決できないから。

 

(2014年5月時点)

 

 

 

岩手・宮城・福島3県で廃業した漁業者数は2,492世帯、全漁業者の25%。

福島県の漁業は14事業者を残しほぼ壊滅。

 

(2013年11月時点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※内閣府

 

東日本大震災の被災地の男女 3000 名を対象に、

ボランティア活動等の支援活動を「受けた」が 33.4%、「受けていない」が 66.6%。

 

地域、居住形態(仮設か、借上げか、県外避難か)によって「受援格差」がある。

 

受援の内容は、

物資の援助(50.8%)

物資の仕分け・運搬又はその補助(39.8%)

炊き出し(28.4%)

資金支援(23.6%)

「被災地に関する情報収集と発信」(16.8%)等。

 

支援活動に「満足」又は「やや満足」と回答している者は 83.9%(「満足」62.9%、「やや満足」21.0%)と高くなっており、支援活動は、受援側から高く評価されている。

 

満足した理由としては、「時期が良かった」(44.9%)の次に、「誠意が伝わった」(41.4%)等をあげるものが多く、支援側の誠意が高く評価されている。

 

今後、大きな災害が発生し、支援活動が必要になった場合に、受援者が支援活動を行うかどうかについては、参加の意思を有する者が70.9%(「ぜひ参加したい」8.2%、「参加したい」62.7%)と、支援を受けることによってその意識が高まったことが伺えた。

 

東日本大震災にボランティアをした人たちは、世界に「分かち合い、助けあいの輪」を拡げた。

 

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